老田直仁先生
東京銀座「かつら岡米」に内弟子として入店(昭和53年5月)。
日本髪かつら製作技術を名人岡田米蔵社長に教えこまれ地かつら(地毛のようなかつら)作りの真髄を学ばせて頂きました。
同じかつらでも、床山さん、結髪師さんの表現技術により百人百様のかつらが出来上がります。
私は、お客様(花嫁さん・芸者衆・踊りのお師匠さん)其々の方が、10歳若く美しく自然にそして何より衣装に負けないように遠目には大きく、近づけば小顔に見えるようにお客様の立ち姿を最上に引き立てるかつらの製作を目指しております。
この度、歌舞伎結びのご活動の応援メッセージとして
歌舞伎役者とのご縁が深い岡田米蔵社長の著書からの文章を抜粋して、ご紹介をしたいと思います。
岡田米蔵社長は、昭和31年、六代目歌右衛門丈が記録映画に出演することになった際のかつらを担当。
歌舞伎の方は羽二重のかつらですから、リアルで自然なネットのかつらをかぶった歌右衛門丈の一番美しい時の姿を映画で残したい、とい希望にお応えできたことは当時、松竹の会長さんであった大谷竹次郎様も大変喜んでくださいました。
七代目中村芝翫丈の奥様のお世話にて、中村歌右衛門丈、中村雀右衛門丈などの御曹司、幸四郎丈、勘九郎丈。檀十朗丈、吉右衛門丈、福助丈、橋之助丈(現在八代目芝翫丈)の花嫁様(三田寛子様)のかつらを造らせていただきました。
自伝・作品集を発表する際に、七代目中村芝翫丈よりお言葉を頂戴いたしました。(一部のみ抜粋)『岡米さんのご縁は、家内も二人の娘、福助の嫁、橋之助の嫁皆岡米さんのお世話で結婚式のかつらを作っていただきました。』
岡田米蔵社長が、一世紀にわたって、いろいろなかつらを造ってまいりました。
時代の流れとともに、かつらをとりまく状況も様々に変化しております。
日本の伝統を再発見するお手伝いが出来れば幸いと存じます。
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岡田米蔵 (地かつらの創始者)1898-1995 大正-平成時代のかつら製作者。
明治31年7月15日生まれ。44年から歌舞伎専門の鬘屋(かつらや)大勝で修業,父米吉創業のかつら岡米にはいり新派や新国劇のかつらを製作。大正12年店をつぎ,昭和5年東京銀座に進出。生え際を自然にみせる網のかつらを考案し特許をえた。平成7年5月30日死去。96歳。東京出身。自伝・作品集に「銀座かつら岡米」。
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日本髪かつら 地かつら老田 HP http://nihongami.net