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河内厚郎先生


歌舞伎役者ゆかりの社名を冠した「扇雀飴」や「芝翫香」が今も健在なように、歌舞伎の記憶は今も身近なところに息づいている。

正月・大阪松竹座の壽初春大歌舞伎は、中村橋之助改め八代目中村芝翫(しかん)の襲名披露である。この芝翫という名跡は、江戸時代後期の文化文政時代に活躍した名優、三代目中村歌右衛門(1778~1838、前名・加賀屋橋之助)の俳号に由来する。創業以来、心斎橋・大丸百貨店の向かいに店を構えてきた「芝翫香」は、この三世歌右衛門、すなわち初代芝翫が開いた小間物屋に始まる。文化10年(1813)心斎橋で小間物屋「加賀屋」を始め、のちに店名を「芝翫香」と改め、宝飾店として現在に到った。

昭和49年(1974)、同社が事務局となって「中村芝翫友の会」が発足。平成5年(1993)に「中村芝翫後援会」となったが、ここにいう芝翫とは、6年前になくなった先代芝翫(1928~2011)のことである。このほど襲名した八代目の父に当たり、西宮・甲陽園にあった料亭「播半」が有力な後援者であった。芝翫香は平成25年(2013)に創業200年を迎えたが、海外のブランド店が軒を連ねる御堂筋の西側へ店は移っている。

一門のルーツとなった初代芝翫の墓は、歴代の名優たちが眠る中寺町(大阪市中央区)の正法寺にある。中寺町には、明治・大正・昭和にまたがり道頓堀の芝居町に君臨して「大阪の顔」と謳われた初代中村鴈治郎、元禄の名女形・芳澤あやめ(初代)、「娘道成寺」を初演して女形舞踊を確立した初代中村富十郎、幕末の名優・八代目片岡仁左衛門、近代の名門である中村梅玉家や實川延若家など、名優たちの墓所が並ぶ。これほど歴代の歌舞伎役者の墓が密集するところは他にないだろう。周辺には、「扇雀飴」本舗、数々の名作の舞台と、それらの登場人物のモデルとなった人々の墓なども数えきれない程あって、さながら「歌舞伎の古都」といった趣を呈している。好劇家ならずとも散策にお薦めしたい。

関西歌舞伎が健在だった頃は、私の住む西宮の町にも林又一郎(初代中村鴈治郎の長男、現・坂田藤十郎の伯父)や嵐雛助といった歌舞伎俳優が住んでいた(雛助の葬儀には私も参列した)。十二世片岡仁左衛門の実子である市村吉五郎(1918–2010)は小学校の先輩に当たる縁で昔話をいろいろ聞かせてもらったし、西宮北口に一時期あった宝塚映画の撮影所では当時専属だった中村扇雀(現坂田藤十郎)の姿を見かけたものだった。阪急「夙川」駅前には「成田家」という最中屋があり、これは「劇聖」と呼ばれた九代目市川團十郎が大阪歌舞伎座に出演した折、贔屓先に配ったのが始まりという和菓子の老舗で、店の名は團十郎家の屋号「成田屋」に由来する。その近くには、二世實川延若の弟子(實川延童?)が、何の店だか忘れたが、「河内屋」の看板を掲げていた。

それから60年近く歌舞伎を観てきたことになるが、やはり大阪の芝居が好きだ。新町が舞台の芝居なら「吉田屋」に「封印切」、北新地なら「河庄」や「五大力」。町並は変われど、劇中の世界に浸れば、往時の面影がしのばれる(ような気がするのだ)。

いま私たちが歌舞伎と呼ぶものは、三味線音楽の浸透によって十八世紀以降に完成した音楽劇である。回り舞台やセリなど歌舞伎劇場の独特な舞台機構も十八世紀中頃に道頓堀の芝居町で発明された。市井を舞台とした世話物に到っては、幕末から明治初期までの町人風俗が背景となっており、だから落語などと時代風俗も重なり現代人にも親しみやすいのである。それなのに、学校でもカルチャーセンターでも〈歌舞伎入門講座〉となると、歌舞伎草創期から元禄歌舞伎(つまり17世紀末頃)までの歴史を主に教えている。歌舞伎について初心者に講義する際、出雲の阿国や傾き者の説明から始めるのが通例となってしまっているが、当時の芝居は伝わっておらず上演もされていない。第一、阿国は女優であって、歌舞伎を色濃く特色づけている女形ではない。

戦国末期、三味線音楽が大阪湾岸へ渡来して定着、歌舞伎の伴奏楽器として用いられるようになっていった。なかでも歌舞伎劇の中枢を占める義太夫物と呼ばれるジャンルでは、三味線音楽がドラマの進行を左右するほどの役割をになう。この義太夫物とは、竹本義太夫が大坂で創始した義太夫節が人形浄瑠璃の流行によって隆盛を極め、それが演目もろとも歌舞伎の中へ移入されて主要なレパートリーとなったものだ。たとえば『仮名手本忠臣蔵』が、道頓堀竹本座の人形浄瑠璃で一七四八年に初演されて、歌舞伎としてはその翌年に道頓堀中之芝居(のちの中座)で初演されて日本人の国民劇となったように、わが国の近世演劇においては大阪製のドラマが主流となってきた。そのため大阪言葉のイントネーションやアクセントが共通語のごとく扱われてきたのである。豪華な衣装や舞台、花形俳優の魅力などに惹かれて劇場へ足を向ける若い歌舞伎ファンが、それでもドラマの内容に通じていくにつれ、「江戸の華」と思っていた歌舞伎のコアが意外にも近世大坂の町人言葉、すなわち浄瑠璃言葉(主体は義太夫節)と知って驚くことになる。

大阪から歌舞伎が滅びてはならないと私が信ずるゆえんであり、あらたな歌舞伎関連商品が大阪から産み出されることに期待を寄せている。

河内厚郎事務所  http://www.bunka-produce.jp


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