清水 悌先生
日本芸能の魅力
歌舞伎や能を観るのに、先ず基礎知識をつけてからと思う人が多いように思うのですが、それはまったくの間違いで、私は、これは、学校教育の悪影響ではないかとさえ思うのです。 その理由は、物心ついた頃から、これらを見せたり聞かせておけば、自然にその魅力を感じ取れるように思っています。
また、その環境に無くても、成人してからでも、見てみたい、聞いてみたいと思ったとき、基礎知識など何も無くても、いきなりその世界に触れてみれば感じ取れると思います。 事実、高校や大学時代、私が誘って歌舞伎や能を見に行った友人たちの殆どは、今でもその魅力を楽しんでいます。
私の記憶では、4歳だったか5歳だったか、それは覚えていませんが、6歳以前に七世松本幸四郎の「熊谷出陣」と「連獅子」を朧げに覚えていますし、その番付も絵にクレヨンで色を付けたことは、今でも覚えています。 6歳の多分11月だと思うのですが、浅草の国際劇場で初代中村吉右衛門一座で 「石切梶原」「戻橋」「幡随院長兵衛」「お夏狂乱」「娘道成寺」を見て、電車が混むからと云う理由で、道成寺は振り出し笠の途中で連れて帰られたこと、吉右衛門の長兵衛が客席のすぐ側の通路を通るのをカッコいいと思ったことなど、今でも映像として思い出します。
これは記憶力の問題ではなくて、数多く見せてもらえなかったので、反復して思い出していたからに過ぎません。 道成寺を最後まで見たかったのは、その少し前にサーカスで道成寺の釣り鐘から蛇になって、作り物の大蛇が凄まじい勢いで出るのを見ていたからです。 子供ですから、すべてストーリーを理解していた訳ではなく、目と耳を楽しむ魅力に取り付かれていただけのことだろうと思います。 ちなみに私の子守唄は、隣に住んでいた他所のおじいさんの「チンチントン・・・」の口三味線で始まリ「和歌浦には名所がござる・・・」と続く「三十三間堂棟由来」の木遣音頭で、感謝あるのみです。
このブロマイドは、国際劇場で買ってもらった2枚のうちの一枚です。
1934年 宮崎市生まれ
1958年学習院大学 政経学部政治学科卒 メイクアップ教室 開設 ピカソ美化学研究所 研究室にて化粧品開発
1961年(株)フジテレビジョン入社 美術部メイクアップ室勤務
1964年カラー化準備のため放送部へ異動
1967年 カラー本放送開始とともにCM部へ異動
1989年 (株)フジテレビジョン退社 (株)クランツにて化粧品開発(Tei Collection) メイクアップ技術者&研究者として活動
1998年国際文化学園 非常勤講師 現在に至る